「思いつきで妹背山」休養の旅
2005年11月4日(土)〜5日()      同行者:AD,NM

妹背山(国土地理院、2.5万地図より)
(吉野川をはさんで、北が妹山、南が背山)

15年4月の公演ポスター:国立文楽劇場(大阪)
 今回の山行は、雨天のため(といっても、強行すれば登頂可能であったろう、結果論だが)当初計画を中止し、
文楽、歌舞伎で有名な、吉野の妹背山に出かけた。

「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」
が、それである。

この物語は、大分前(10年くらい?)に大阪の国立文楽劇場で初めて見た記憶がある。
何せ文楽もはじめてであったが、その華麗な舞台と、太夫の語り、人形遣いに見入った次第であった。
 
 
此処でそのあらすじを紹介すると、
時代は7世紀、
「大化の改新,:645年」前の設定である。
 ご存知のように、「大化の改新」は、中大兄皇子と藤原鎌足によるクーデター事件である。
蘇我入鹿を殺害し、天皇中心の新政をおこなう契機になった事件である。

最近、飛鳥の「甘樫丘」で蘇我入鹿の邸宅跡が発掘されたと言う。
彼自身、改新の勝者からの観点で語られると、
「極悪非道の人物」
として描かれているが、近年、彼の
「再評価」の動きもあると聞きます。

しかしこの物語では、彼はあくまでも極悪非道の独裁者として描かれます。
それがために、恋する二人が死へ追いやられる設定になっています。
勿論、単純な筋書きではなく、複雑な伏線が仕掛けられ、息もつかせぬ展開を示す大作でした。

本編は以下の各段に分かれていますが、最後の段が有名で、物語の核心です。
蘇我入鹿の恐怖政治のもと、死を選ばざるを得なかった恋人二人とその親達の悲劇のクライマックスです。

初段  小松原の段 蝦夷子館の段
三段目  太宰館の段
同   妹山背山の段

最後のこの段では、「両床」という特殊な演出だそうです。
舞台の真ん中を流れる吉野川をはさんで、両家の悲劇のドラマが交互に進行してゆきます。

11月4日():

13:30A君宅-水越峠-大淀町-R169-大迫ダムー三ノ公川林道終点、
東屋(幕営、宴会)


林道終点にある東屋の中でテントを張り、今夜の塒とする。
今夜は雨模様なので安心だ。もっとも、川を渡渉してるので、増水の際は???それにしても此処は良いところだ。

例によってAD君宅で合流。
途中のスーパーで買い物。

大迫ダムで169号線と分かれて、入之波温泉に向かい、
三之公林道の終点に車を停める。
どこかの団体のバスが下山して来るメンバーを待っている。

流れを渡ると、対岸に立派な東屋がある。
今夜は此処でテントを張り、幕営(?!)だ。
屋根の下で幕営、と言うのも変だが、明日は雨の予想なので、
テントが濡れなくてヨロシイ。
また、夜間暖かくもある。

「ひよわな!」
とお叱りを受けるやも知れない。
しかし、「いい事ずくめ」なのである。
此処のところは我儘を、是非とも許してほしい。

今夜のメニューは「鶏の水炊き」だ。
NM君は同窓会奈良支部の用事で遅れるというので、
先ずは二人で宴会だ。
「この出汁はなかなかヨロシイ」
食とアルコールがどんどん進みます。

かなり気分も良くなった頃、
NM君も夜半に合流。
明日の天候を気にしながら、夜は更けて行く。

三ノ公川林道終点にて
11月5日():

19:00泊地出発ー10:00〜11:00妹背山ー津風呂湖温泉(入浴、昼食)ー16:00帰宅

昨日は週末の土曜日で、精神的にも開放され宴会は盛会。
今日は朝からぱらぱらと雨が降る。
仕方が無いので当初の予定の「馬ノ鞍」は諦め、吉野の妹背山に出掛けた。
この山は人形浄瑠璃で有名であるが、登山路が複雑に入り組んでいる。
前から一度行ってみたかった.
今回こんな機会ではあるが、漸く行けて感激である。

今回はAD君の計画で、三ノ公川から馬ノ鞍峰までの往復山行予定であった。昨夜は予定通り、東屋で幕営。NM君も夜半に合流したが、如何せん!

「いま一、天候が??」
朝から雨模様である!
「如何する?登る?」 
と、些か消極的な挨拶が交わされる。
「何処が良いでしょうか?」
思いつきで(今までの思いであるが、出来るだけ行ってないところに行きたい!)

「妹背山は、如何でしょうか?」

これが意外と受けました。
勿論楽すぎる山です。
しかし高々標高300mに満たない山ですが、「歴史的なネームバリュー」は、素晴らしいものがあります。
今まで、前を通りながら登られなかった、不遇の山です。


先ずは原生林が印象的で、麓には神社もある、妹山に挑戦!
吉野川沿いの169号線より右に折れ、神社の駐車場に車を停めます。
近くには吉野川の増水の記念碑も建てられています。
驚くべき増水の記録です。

自宅の近くの住吉川にも、昭和11年の阪神大水害の増水記念碑がありますが、それもとんでもない高さです。
六甲の鉄砲水が下流に向かって濁流となって流れる、恐ろしい状況が目に浮かぶようです。

此処は妹山。対岸の背山の山荘で謹慎している久我之助を追って、雛鳥がこの山荘に来ています。
その山荘とはどの辺りでしょうか?

此処で再度、「妹背山婦女庭訓」に戻ります。

「天智天皇の局に仕える久我之助は、雛鳥と互いに恋心を抱きますが、二人は、領地争いから不仲の(大判事家、太宰家)両家の子女でありました。(古代版「ロミオとジュリエット」でしょうか?)
  

 豪族の蘇我蝦夷子は、謀反の志により天智天皇により切腹させられますが、跡継ぎ入鹿は父の敵を取るべく挙兵し、帝位につきます。
彼は忠誠心の疑わしい両家に、息子久我之助の出仕と、娘、雛鳥に妃としての輿入れを命じます。

 
久我之助は父の怒りを買い、背山の山荘に謹慎。
雛鳥も彼を追って川向かいの妹山の山荘に来ており、親達が子供達に事の次第を話します。
すると2人とも、恋を貫いて死を選択します。

親達は互いに(子供が命令に従う)合図の桜の枝を川に流しますが、
2人が自害したとき、親達は互いの胸のうちを悟り慟哭します。
  定高は、雛飾りを嫁入り道具として雛鳥の首を川に流し、瀕死の久我之助が待つ大判事家に嫁入りさせます。」




踏み跡は、神社の直ぐ左手(西側)にあります。
最初からかなり急な登りです。
植生は原生林です。
木の根が丁度階段状になっており、登りやすい山です。
(神社の方から、

「余り登ってほしくない」

と、言われましたが、
此処まで来ると、好奇心を抑えることが出来ません。
申し訳ありませんでした。)

頂上は巨木の疎林で、見通しは今ひとつでした。
低い山で、矮小潅木も巨木と混生しているので、仕方ありません。
下りは北方稜線から西の斜面をトラバース吟味に下りてゆくと、西のアスファルト道に簡単に降りれました。

続いては背山です。
車で対岸に渡ります。
広大な木材集荷場の脇に車を停めます。
登山口を探して歩きます。

妹山、吉野川の南より

神社の駐車場に車を停めます。

吉野川増水碑ー球状の地点まで水嵩が増したと!

神社の沿革

急な石段

登りに頑張るADさん

左の山が、背山の北の端



登山口の踏み跡

背山山頂にて
近くの民家の方にお話を伺うと、

「登山道?何しに登りますネン?」

と、御不審な様子だ。
止むをえまい。
こんな山に登りに来る奴は珍しいらしいのだ!

「えーっと、ほれ文楽にあるでしょう?
”妹背山婦女庭訓”というのが。そのいわれの山だから
(登りにきたのです)、登山口は何処でしょうかね?」

「そんなん何処からでも(登れますよ)!」

取り付く島が無いと言うより、此処は地元の山なのだ!

しばらくアスファルト道に沿ってゆくと、かすかな踏み痕がある。
少しトラバース気味に踏み痕をたどると、やがて稜線に出てきた。
そこから北に更に辿ると、小さなコルを越えた先が頂上であった。何の変化も無い、人工林の山頂であったが、漸く登れた感慨で、満足感に満たされた。

帰りは「津風呂湖温泉」で汗を流します。
此処は初めてですが、立派な露天風呂もあります。
庭の木々には紅葉も始まっており、雰囲気は最高です。

惜しむらくは、
「入湯料が些か高い!」
900円でした。
「もう少し安ければ大勢の人が来るのでは?」
思わず呟きました。

登山用の昼飯も頂きますが、余り運動していないので、
昨日から些かカロリーの摂り過ぎです。
次回の再会を約して解散します。

「ご苦労様でした」
妹山
背山
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