大阪労山・ダイヤモンドトレール(ダイトレ)、淀屋橋の部
2008年5月24()〜25日()      同行者:ST夫妻、MK&MS,IS,,HK,OK、NC、の他の山の会の皆さん
5月24日(土):
 
18:00JR大阪駅集合ー21:00多賀町、野鳥の森駐車場東屋(幕営)宴会
大阪労山では例年10月末にダイトレ(ダイアモンドトレール:二上山〜紀見峠間)の縦走企画を行っているが、恥ずかしながら今回初参加した。
前夜は磐城のT教教会に宿泊させて頂いた。ここは我々の山の会の元代表
のM氏の別宅でもある。
他の会の人達も大勢集まり、賑やかに前夜祭は更けていった。
5月25日():

5:00起床朝食6:30出発10:00受付終了、出発…11:00峠(二上山、雄岳と雌岳の鞍部)11:30…13:30平石峠(昼食)14:00…15:00磐城-16:00帰阪

朝は早起き。
昨夜のキムチ鍋にうどんを入れて朝食。
受付を済ませた後は、我々と「ハイジ゙」、テンション」のメンバーで、

「まあ、葛城迄頑張ろう!」

と出発したが、その結果は?
6:30からの受付予定であったが、
「時間前から来て、待っている人がいる!」
との情報で、受付場所の葛城市当麻分庁舎駐車場にMKさんが急遽駆けつける。
彼はこの地の名士(?)でもあるので、顔が広く、この”ダイトレ”では何時も受付を担当している。

我々も遅れ馳せながら参集する。
分庁舎からお借りした椅子と机で受付会場がセットされている。

MKさんが言う。
「必ず会費(\1,000)は徴収して下さい。
記念品を渡し忘れても、会費は必ず徴収するように!」

とコミカルに叫ぶ。
思わずどっと笑いが起こり、その場の雰囲気がぐっと和む。
彼はなかなかの名優である。

次第になじみの顔が姿を見せる。
この大会は20kmと40kmの2種類の距離設定があるが、やはり多いのは40kmの方だと言う。
実際に参加者は、後者が前者の約2倍の200名であった。


受付風景
  私は今までこの大会には、参加も協力もしてこなかったので、多少後ろめたい気分での参加協力である。
と言っても、実際の仕事は他のメンバーに任せて、遊撃(フリー)の案内役(?)をかってでた。

幸いにも今日は天候に恵まれ、絶好のハイキング日和である。二上山から葛城山の稜線もくっきりと見える。
山肌には紅葉の木々も散在している。
稲穂は既に黄金色のうねりとなっている。

漸く受付終了。
机と椅子を庁舎内に戻す。
これで仕事はすべて終わった。

最後で落伍者のチェックをして行くパトロールの「カランクルン」の面々を見送り、我々も出発の用意をする。
メンバーは我々「淀屋橋」5名と「ハイジ」6名、そして朝から受付介助に来てくれた「テンション」のISさんだ。

当麻寺の参道を行く

当麻寺の参道から登山口に向う。
途中に政争に巻き込まれて非業の死を遂げた
大津皇子に捧げる歌碑があった。
あまりにも有名な歌である。
何を隠そう、私も中学の国語教師の影響で見知っていたのだ。

「うつそみの 人なるわれや 明日よりは  二上山を 弟世イロセとあが見む 」大来皇女
(生きてこの世に残った私はあすからは、この二上山を弟と思ってながめよう)

姉、大来皇女の悲しみは幾許であったろう。
十四歳で伊勢の斎宮に仕え、ず っと独身であった大来皇女。彼女には弟だけが生き甲斐であった?

 
歌碑
  大津皇子は天武天皇の第三皇子であった。
「文武に優れ、細かい規則など無視する若者らしい豪放なところがありながら、一面学を好み博覧、才能ある人には己れをへり下たり交遊する」
、という魅力ある皇子だったとされる
。天武天皇の後継者争いに巻き込まれ、謀反の罪を着せられ、死を賜わり自裁した

続いて、傘堂に出会う。
傘堂は1本の柱で建っている、変わった建物である。

登山口からは、次第に急傾斜になる川沿いの道が続く。水流が無くなると、九十九折りのみちになり、傾斜も急である。
昨夜の宴会で飲みすぎたのか?皆さんペースが遅い。
しかし程なくコルに到着した。
コルは風も通り、店も有り息抜きに最適である。
ここからは大阪方面(富田林、羽曳野、松原)が良く見える。
最近開通した「南阪奈道路」が伸びている。
PLの例の奇怪な塔も良く見える。

次第に全員が集まり、行動食をほうばる。
「ハイジ」のKYさんが言う。
「ここから葛城山まで行く人は?」
なんと、積極的な意思表示が無い!?

「えっ、みんな行く予定でなかったの?」
思わず言ってしまう。
KYさんは
「葛城迄行く人は先に出発して。私らは...」
とノタマワれる。

峠で昼食

ま あ取り敢えず行ってみようと、「淀屋橋」とISさんで先行する。そのうちに「淀屋橋」の4人が遅れ、ISさんと2人だけになった。
「そのうちに追いついてくるだろう」
と、兎に角先を急ぐ。
彼女はセミナーから始めて、登山暦はまだ数年だと言うが、なかなか快調についてくる。
「遅かったら先に行って下さい。下りに弱いんです」
と言うが、なかなかしっかり付いてこられます。
かなりの健脚とお見受けしました。

竹内(たけのうち)峠は自動車道との交叉で、更に先を急ぐ。
我々は皆さん最初に言われたように、
「少なくとも岩橋山を過ぎて、岩橋峠までは行く」
と、(我々は)思い込んでいたのであった。

全員集合
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