2023年5月24日 丹後、宮津 八幡山城址ハイキング

   Bergen単独行

今回は、宮津市街地の東の山城跡、「八幡山城址」の探訪です。
宮村駅から住宅街を通り抜けて登山口に到達しました。
展望台から宮津湾の眺めも良かったですが、長年の謎が解けました。
さて、何だったでしょうか?

後で調べると、八幡神社からの登路もあるようです。
次回の課題です。また楽しみが増えましたね!?

 

集落南の神社の石碑

これは、民宿か?、小粋な看板です
宮津の東の「八幡山城跡」、
その昔、一色氏が居城とした。
その後、細川氏も住んだが、宮津城完成と共に廃城となった。

北から眺めますと、山の上に灯りが見えていました。
「あの灯りは何なのか?いつも気になっていました。
Netで調べると、『八幡山城址』でしたね。
大久保山城跡と異なり、奇麗に整備されているようです。
今日は確認です。宮村駅から出発します」
 
ダムの手前から、左に細い登山道が
 
途中の登山道、結構な傾斜です。右は曲輪
宮村駅の駐車スペースに車を停めました。
鉄道利用者のためで、駅前にはトイレもあります。
10台は停めれそうです。
登山口は分かりにくいですが、ダムの手前にありました。
入口にはケモノ除けのネットが張られています。
此処からひたすら登りです

「とにかく、曲輪を見ながら上の展望台まで行きましょう。
なんと!【山頂まで800m】の標識がありますよ」


足元の落葉が滑りそうで、慎重に登って行きます。

展望台から宮津湾,Bergen

山頂の電灯群と太陽光発電パネル
山城にありがちな石段でなく、ひたすら急な坂を登ります。
途中に、大小の曲輪が連なります。
此処は丹後の山城によくある、「土の城」ですが、最後の主郭のみ石垣です。

中世の山城は、山の尾根を平坦に削って曲輪をつくったり、
堀切や土塁をつくって防御性を高めた「土の城」でした。
丹後では約500ヶ所の「土の城」が確認されています。

これに対し、織田信長は瓦を葺いた天守閣や石垣をつくり、日本の城つくりに革新を起こしました。
こうした特徴をもつ城は、安土城(滋賀県)を典型とし、
織田信長や家臣の羽柴(のちの豊臣)秀吉により盛んに築かれたことから、「織豊系城郭」と呼ばれています。

(宮津市Hpより)


木の間から下の景色が見えればいいのですが、木々がしっかり茂っていて、
視界は全くありません。
「あっ、ここが展望台ですね!
此処からの景色も(題目山と同様に)素晴らしいです。
特に、北方のみならず、西や南も良く見通せるので、
戦略上の要所であると理解されます」
 
山頂の構築は石垣だ
 
最後の登りはきつい!安全のために柵が設置されている

展望台の上にも主郭があります。
最後の曲輪は、【展望台から100m】の標識で導かれます。
上に進むと、急傾斜の階段(手すり付き)で山上の曲輪に!
此処には、ソーラーパネルと電飾がありました。
見下ろしますと、宮津市街から丹後半島の景色が広がります。

「此処の電飾(というより、白熱電球の羅列?)が、
下から眺める光の源だったんですね!
納得しました。
これで長年の謎が解けました!来て良かったですね!」


単純に喜ぶ、他愛のないBergenでした。
 
建築中の(木造?)砂防ダム全景

 
仏さん像

さて、長居は無用です。
ぼちぼちと降りて行きましょう。
下りの途中で数か所、分岐点らしき地形に出合います。


此処の辺りは長らく伐採されていないので、木が思い思いに茂っています。
「此処も隠れた名所ですね。
「知る人ぞ知る』では勿体ない!
昨今の城郭めぐりブームにのれば、名所になりますよ」


うん、何?
「あまり有名になりすぎるのも問題だ!」
理解できます。
「まあこのくらいが良いですかね?」
しかし、webを探すと、城巡りのサイトが目白押しです。
 4月25日(木)
栗田峠、「發雲洞隧道」
   
 
栗田峠トンネル、由来記
發雲洞トンネル(栗田側ファサード)  「文化遺産データーベース」にも載っている
栗田峠(宮津:波路ー栗田:上司)トンネル。
話を聞きつけて、行ってきました。

先ずはデーターベースからの引用。

「京都府  明治/1886
石造坑門、延長126m、幅員4.7m 1基
京都府宮津市字波路~字上司
登録年月日:20080418
宮津市登録有形文化財(建造物)」


市中心部より北東に位置する栗田峠に穿たれる。
京都宮津間車道開鑿工事の一環として建設された、
延長126m、幅員4.7mの隧道。
坑門は石造、馬蹄形断面で、
江戸切仕上げ石材を用いたピラスターを付ける堂々としたつくり。
我が国最初期の近代隧道の一つ。
 
宮津側ファサード
 
先人の碑「賣間九兵衛への顕彰碑」
 その昔、栗田と宮津を結ぶ道には、3つのルートがあった。
1.獅子崎から海沿いに北を迂回するコース
2.栗田峠を越えるコース
3.皆原から南の山中を辿るコース

何れも急な道で、荷車は使用できず、人が担いで運んだという。
そこで最短距離である2.のルートに、道を作る機運が高まった由。
途中からは京都府の、「京都ー宮津」間道路計画に組み入れられたが、当初は「上司町による栗田(くんだ)峠の開鑿工事計画」に過ぎなかった。

その計画を推進していたのが、
賣間九兵衛」(うるま・くへい)だった。

当初は峠を切り下げる工事だったのが、トンネル計画に変更された。
それまでに多数の私財を投げ売って工事を進められた。
完成後も借金の返済に苦労された由。
 5月26日(金)
宮津・八幡神社「八幡山城址、北西&西曲輪」
   
 
八幡山城跡と細川氏
 
八幡神社鳥居
先日、 宮村から「八幡山城跡」に登って、
積年の疑問
「山上の灯りは何なの?」
が解決できました。

地元の職員に聞きますと、「八幡神社」からが「表参道」の由。
早速出かけてみました。

入口には何時もの様な、案内板が掲げられています。の、
 
参道直ぐの巨木

石段が続く
 石の鳥居から見上げますと、ずっと奥に石段が見えます。
いきなりの急登のようです。
参道自体は幅広いのですが、周囲の樹木は覆い被さるばかりの
巨木です。
「いやー、なかなか立派、というか幽邃な雰囲気ですね。
普通の(?!)お社とは異なります」


此処が、「八幡山城」の表門だったら、納得いきますね。
 
参道脇の深い谷
 
参道脇の巨木
 進むにつれ、昔の城(というか、砦、「山城」)の雰囲気が
色濃く漂います。
両側の深い谷も、攻者の進軍を阻む障害だったでしょう。
石段が切れると、九十九折りの山道になります。
 
八幡神社本殿
 
西曲輪
 最後に、漸く、「八幡神社」の本殿が出てきます。
今までの道のりに比べると、あっけないほどの小さなお社です。
城址には、本殿の右の急坂から登ります。
「先日見えていた急坂ですね。
上がりますと、宮村からの道に合流しました」
 
正印寺墓所
 
丹鉄、新造車両
 下りを何処から下るか?
宮村に下るのも、来た道を下るのも、芸がありません。

「折角ですから、西の曲輪を下ってみましょう」

あまり人が通らないのでしょう。
落葉や枯れ枝が散乱しています。
例によって、途中にケモノ除けのnetが張られています。
下りきってみますと、お寺(「正印寺」)の墓所でした。
 
丹鉄「黒松」号
 
丹鉄、車両
 そこからは、丹鉄の線路に沿って、Hpに帰ります。
時間柄か?多数の丹鉄車両が通過してゆきます。

「新旧、取り交ぜた車両編成です。
赤字ローカル線の生き残りをかけて、色々と頑張っておられます。
丹鉄は丹後地域の公共交通の要(特に高校生)です。
これからも工夫して、遊び心のある鉄道運営に励んでくださいね」
inserted by FC2 system