2023年3月4日大阪 上町台地周辺ハイキング by のんびり
参加者:MM(リーダー)&Bergen、総勢2名

10:00天王寺駅…天芝…10:50茶臼山…一心寺…11:20四天王寺…寺町界隈…14:00真田山墓地、公園…Q’s mall…
15:00難波宮史跡…連隊碑…15:30大阪城…16:00JR京橋駅(集合)

 大阪城天守閣
  
上町台地地形図
 
「近鉄」てくてくマップ 

茶臼山と周囲の堀



茶臼山三角点(新調?)

 山口在住のIHさんが大阪に一時帰郷するというので、
旧知の山仲間が集まる(単なる、
”飲み会”であるが)
機会がありました。

集合時間が16時なので、
「それまでぶらぶらしているのは勿体ない!
折角ですから、大阪上町台地の
「名所巡りコース、大阪城及びその周囲の戦跡巡り」
を行おうと。

今回はMMさんとの訪問です。
(及びかけしても、来て頂ける奇特な(?!)方ありませんネ)
 
標高26m、日本百低山の1つ!
 
一心寺の仁王さん、余りにアバンギャルドだ?!
 先ずはMMさんのお勧めで、改装なった「天王寺公園」の広場、
「てんしば」に向かいました。
その名の通り、広い芝生の公園になっており、
昔の隠微な(失礼!)雰囲気はありません。
「あくまでも明るく綺麗、色々なアトラクションもあります!
楽しいですね」


続いて、改装中の「大阪市美術館」の脇を北上し、
「茶臼山」に到着です。
此処は色々な歴史がありますが、大坂夏の陣の際の家康陣
があったようです。

続いて「一心寺」ですが、広い境内の中に大勢の方がおられます。
入り口の仁王さんや門自体も、フランスの前衛美術館のようです。

一心寺本堂?


「口縄坂」の碑

 更に東方向に足を進めますと、立派なお寺の伽藍が見えてきました。
「あそこが四天王寺ですね。(進学校で有名な!)中、高校も隣にありますね」
桜の名所というだけあって、桜の木が多いです。

続いて谷町通りの西に渡ります。
松屋町通りとの間のお寺群を見て回ります。
台地の左右とも、坂道で、色々と名前が付けられてます。
 
新撰組大阪旅宿跡の碑

 
石畳には滑り止めの文様が

所々に石碑があり、思いもかけない記載があり、吃驚します。
「新選組って、活躍の場は京都ばかりでなかったのですね!」

MMさんは以前に「のんびりハイキング」のMさんとも
来られたようで、要領よく案内して頂きます。

「口縄坂」やら「現聖寺坂」など、初めて聞く名前があります。
何れもその名の由来が書かれているので、よく分かります。
 
生玉神社の桜の幼木、蕾膨らむ!


 
玉造稲荷神社の(移設された)鳥居


更に、北に進みますと、「生國魂神社」に到着です。
この神社は、神社建築史上例のない「生国魂造」王式を残していると。
「何処がどう違うか?分かりませんのう」

今日は天気も良く暖かなので、庭のさくらの幼木も
蕾が膨らんでいます。
「もうすぐ開花ですね!」

鶴橋駅から玉造駅周辺に向かいます。
昔の大阪労山事務所があったので(今は福島に移動)
懐かしい所を見て回ります。
玉造稲荷神社も、参拝するのは初めてです。

思わず北まで行きすぎましたので、MMさんが行きたかった(?)
真田山公園(墓地)を通り過ぎてしまいました。
折角ですから、真田山公園まで戻ります。
 
史蹟「越中井」 由来記



「越中井」 全景


此処は昔の陸軍軍人墓地で、多数の墓石が整然と並んでいます。
「明治前から日露戦争まで、多数の兵隊が亡くなられたのですね。その上に今日があるのですが。また変な方向に進んでますね!」

西方面に、細川ガラシャ夫人縁の「越中井」があるはずです。
「あっ、此処ですね!」
公園の一角に記念碑がありました。

記載によると、
「この辺りに細川忠興邸があり、邸内にあった井戸である。
関が原線の直前、忠興が家康に従い出陣中に、
石田三成らが諸大名の妻子を人質にしようとした。
彼女はそれに従わず、この地で37歳の生涯を閉じた」

とある。
 
歩兵第8連隊の碑


 
歩兵第37連隊の碑(大阪医療センター敷地内に設置)


此処から西に向かいますと、広大な広場が広がってます。
「元来、この辺りは高層建築が密でなく、広い空を共有できる場所ですが、特にここは良いですね!」

「難波宮跡」です。
法円坂の一帯に広がっている史跡公園です。
(すぐ北の阪神高速道路東大阪線が平地になっているのも、将来的な発掘調査を考えてと、聞きましたが?)

この周辺には、「第8連隊、第37連隊石碑」、更に
「大村益次郎殉難碑」が見られました。
 
大阪城、内堀
 
大阪陸軍兵器廠本部門
 最後は大阪城ですが、もうかなり時間が迫って来てます。
大手門から入りますが、どこもかしこも大勢の人で混雑しています。
コロナでの入国制限が緩和されてからか?外国人が大勢です。
中国語やハングルが飛び交います。

ここが「大阪陸軍兵器廠本部門」ですね。
第4師団司令部を中心として、大阪城周辺には多数の軍施設が
集中していた。(そのため、米軍の楽劇対象となった。京橋駅の爆撃被害も其の1つでした)

この本部は、兵器、兵器材料の保管修理に当たっていた由。
現在の西の丸庭園一帯に多数の倉庫があった由。
この門だけが当時のものである。
 
石山本願寺跡、推定地の碑
 
旧第4師団司令部(現在、”歴史博物館”)
すぐ横には、昔の「石山本願寺」の跡を示す石碑もありました。
信長と戦った「蓮如」が去ったのち、秀吉により「大坂城」が建てられました。

内堀を入りますと、正面に天主閣、右手に重厚な石造りの建物が!
これが、『旧陸軍第四師団司令部庁舎』です。

1931年(昭和6年)竣工で。大阪城天守閣と同時に建てられました。、
(天主閣復興資金の過半を割いて建築されて陸軍に寄付された由)
「歴史的建造物で、重要な歴史の証人ですが、経緯を知ると複雑な心境ですね?!」

城内はそそくさと見物し、慌ただしく集合場所に向かいます。
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