2023年3月10日宮津 大久保山(大窪山)城跡探訪ハイキング 
   Bergen単独行




急な坂を登り上げます。落ち葉で滑りそうで危険!


以前から気になっちました宮津市街の西にある小山!
昼休みに探訪に出かけました。

お寺の裏の墓地から登ると、山頂の平地が


先ずは「佛性寺」裏の墓地群の脇の坂道を高みに向かいます。
 
何やらいわくありげな石碑も、詳細不明?

すると段々の地形になり、立派な石碑も出てきました。

「文字が読み取れません。帰ってから調べましょう」
 
神社の奥の院?!


立派なお社も出てきました。
「これが地図にある”本荘神社”でしょうか?」

大窪山城跡の碑が!


暫く進むと木の標識が!
「此処からは道が輻輳していて、どう進めばよいか?!」

「平地には何やら石碑がありました、壺は近世のもの?


さらに奥に続く尾根筋を進みます。
「いわくありげな小さな石碑ですが、此れも読み取れません」
 
宮津の街並みが見えます、奥は赤岩山の山並み


東方面は開けて、山の上に低い雲がかかっています。
「今日は春霞と言うより、黄砂ですよ!」
 
古の城の石垣?


暫く進むと、立派な石垣が出てきました。
「隙間なく石組みが組まれています。この造形は素晴らしいです!」
矢張りこの辺りが城跡のようですね
 
登り詰めると浄水場の配水池が出現!


更に進むと、立派な近代建築物が!
「此処から高度差を利用して配水するのですね」

恐らく(水道関係者を除いて)市民はこの施設の存在を知らない?
 
更に稜線の踏み跡を進みます


踏み跡は更に南へと続きます。
倒木で歩きにくいですが、足元はハッキリしています。
「先には急傾斜の竹林(タケノコ畑?)が広がっています」
 
墓地から見下ろす建物は斎場でした


最後の墓地からは、急傾斜の尾根が続いていますが、
時間切れです。
「本日の探訪は此処まで!次は他日に再訪です!」

見下ろせば、丹鉄のレールが、絶好のアングル?!


少し下りますと、立派な階段が出現。
「此処は斎場だったんですね!初めて知りました!」
 
みやづ アート散策マップ


玉子(細川ガラシア)は明智光秀の三女。細川忠興の妻。
戦国の世の悲劇の女性、又敬虔なカトリック教徒として知られる。

16歳で父の盟友細川藤孝の長子忠興に入嫁。
天正8年(1580)細川親子の丹後入国に伴い、宮津入り。

その2年後、『本能寺の変』により、”逆臣の娘”として、忠興に離縁された。

ガラシャは洗礼名で、丹後にいた時は入信以前なので、細川珠(玉・玉子)夫人で「丹後七姫伝説」の一人に挙げられていた。

この地が精神的、宗教的に彼女の意識を飛躍的に向上させキリスト教の入信の地となった?​

細川珠(玉・玉子)が丹後に来る際は(まだ宮津城もない時代で)、智源寺の西側の裏山にあった「大久保(大窪)城」に居住していた?
(出展:https://www.3780session.com/blank-19)

 
宮津市街地

inserted by FC2 system