大阪市住之江区
加賀屋新田会所跡,高崎神社,大阪護国神社
&住之江公園  ハイキング
 「加賀屋新田会所跡」の石碑

2021年5月15日(日)     のんびりハイク、MMさん
今回、某銀行の広報誌で見かけた大阪、住之江区の見どころを訪ねてみた。
折角ですから、近くでお住いの療養中であるMMさんに声掛けした。
MMさんには、病み上がりとも思えぬ快調な足取りで、これらの名所を案内して頂いた。


「加賀谷新田会所跡」案内板
のんびりハイキングの主唱者、MMさんが3月に六甲、杣谷で滑落事故に遭ってから、もうすぐ2か月になろうとする。
幸いにも経過も良いようで、最近、ギプスを外して歩行訓練も順調に進んでいると聞いていた。

久しぶりに会って、現状を聞きたいと思っていた。
ところで最近、大阪、住之江区に「加賀屋新田会所跡」なる史跡があると聞き及んだ。
其処はMMさんの自宅からも近く、折角会うのなら
是非とも其処を訪ねてみましょう。
 
入り口から入ります、自転車で来てくれたMMさんです
そんな訳で、15日に外出した際にMMさんに連絡。
幸いにも空いているという。
地下鉄四つ橋線、住之江公園駅で合流。

「久しぶりですが、元気そうで何よりです。
大きな後遺症なしで済んで良かったですね」

自宅から自転車でのご参加であるが、歩く足取りも全く問題ないようだ。

「先ずは昼飯を食べましょう。近くの食堂に行きますか?」
積もる話にひとしきり花が咲く。
頭部と下腿に傷を負ったが、何れも問題なさそうで何よりだ。
 
書院への道
18世紀に大和川が現在の位置に付け替えられて(結構、昔に工事がされたのがビックリだ。淀川も結構昔だったらしい)
河口付近に新田開発が進んだらしい。

この、
「加賀屋新田」を開発したのが、大阪淡路町(現・大阪市中央区)の両替商だった、加賀屋甚兵衛の由。ちなみに、会所とは新田の管理を行う経営拠点で、商家の別邸でもあったらしい。

「この会所跡には、小堀遠州風の築山林泉回遊式庭園も拡がり、この辺りにしては(失礼!)しっとりと落ち着いた佇まいの、緑地帯ですね」
 
数寄屋造りの建物が落ち着く
「入場が無料と言うのも、気楽に入って見学できるメリットですね。入り口の”長屋門”は復元されたものらしいですが、暫く進んで行くと、冠木門の正面に建物の玄関がありますね」

旧書院の建物の内部も素晴らしく贅をこらせた造りです。大阪市の有形文化財の指定を受け、国の特別緑地保全地区にも指定されている由。
日曜日はボランティアの方に、詳しく案内して頂けます。

大和川堤防脇の高崎神社、石造りです
そこから高崎神社を探しますが、少し遠回り?
幸いにも、通りかかった人に案内して頂けました。

「私ら此処の氏子ですねん。朝方なら7月の夏越祭に繰り出す、布団太鼓が見れたのに!」
と、残念そうでした。
(何処にもご親切な、郷土愛溢れる方が居られるのは、嬉しいことです)

「高崎神社」は、1839年に加賀屋新田の氏神として創建された由。祭神は水分神と天照大神と柿本人麻呂の由。

本殿は石段の上に設えられてある
この神社は、周囲を取り巻く石垣やその上の柱など、石材が多用されています。境内に入りますと、本殿も石垣の上に鎮座されています。

「街内の神社で、本殿がこんな石組みの上にあるのは少ないですね?」
と、Bergen.。

「大和川の堤防がすぐ脇なので、氾濫時のことを考えて少し高い所に設えているのかも?」
と、MMさん。

成程、その通りでしょうね。
MMさんのご明察に感服です!
 
大阪護国神社
後は住之江公園に移動です。
ここには公園の他、「大阪護国神社」もあります。
創建は1940年の由。
大阪には戦没者の英霊を恒久的に祀る神社がなかったことから、幕末の天誅組をはじめ、西南の役から太平洋戦争までの10万5000柱の英霊が祀られている由。

「戦死した英霊を弔うのは人間として当たり前のことで、それを政治問題kするのはおかしいですよね。
また、血なまぐさい世界になってきているのが気がかりです」

今回の探訪記は、
「自然総研」 トイロカルチャー vol.175(2022夏号) 
「わがまち ぶらり旅 121 住之江区南部を歩く(大阪市)」を参考にさせて頂きました。
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