ベトナム、ファン・シー・パン(インドシナ半島の最高峰)登山ツア

2016年5月19〜29日     カランクルン:KK,OT,SAさん、淀屋橋労山:Bergen
ベトナムへの渡航暦というと、11年にホーチミンとホイアンに行った。
HISのツアーであったが、比較的に自由時間も多かったので、レンたサイクルでゆっくりとホイアンの町を観光できた。

今回はベトナム最高峰(インドシナ半島の最高峰でもある)のファン・シー・パン(3149m)を目指した。本来なら麓の町から2泊3日で往復する登山であったが、最近、ロープウエイが開通したというので、(軟弱だといわれそうだが割り切って)早速それうを利用することとした。

5月19日(木)
移動、関空からハノイへ

関西10:30〜(ベトナム航空MM027)〜17:55ハノイ  宿泊:ダリアホテル
関空からは6時間ほどの飛行で、ハノイのノイバイ空港に到着する。新築された空港ビルは美しく、機能的である。
一歩外に出ると、そこには南国の空気がいっぱいである。
宿は市内中心部、ホアンキエム湖近くの「ダリアホテル」である。

「ツーリストでホテルまでのタクシーを頼みましょう」
そこのところは、旅なれたKKさんによって、さっと手配して頂けた。

町の中心まではざっと1時間ほどである。
最初こそ立派な高架高速道路であるが、町の近郊になってくると、渋滞だ。
ハノイ大教会(セント・ジョセフ教会) ホアンキエム湖
大聖堂の脇道を少し入ったところにホテルがある。
8階建て(8階は朝食場)、総客室は20部屋ほどの小さなホテルであるが、清潔で気持ちがいい。従業員の応接も申し分ない。

「ベトナムのホテルは、間口で固定資産税額が変わるのか?どうしてもペンシルビルが多いのが特徴だ」
と,KKさんは言う。

ホテルで休憩。
シャワーで旅の汗を流した後は、ホテルの近郊の観光だ。
「先ずは、ハノイ市民の憩いの場の、ホアンキム湖ですね」

夕刻なので、納涼の人々が多い?!
湖畔は大勢の人々で溢れている。
明日の「タンロン水上人形劇場」の切符を買っておく。
水上人形劇場 夕食のホテル
5月20日(金)
ハノイ市内観光
フラッグ・タワー…戦争歴史博物館…タンロン遺跡…オペラハウス
宿泊:ダリアホテル

「前回のベトナム訪問は確か、5年前でした!ハノイは空港で乗り換えただけでしたが、昔の空港だったので、国内線との乗り継ぎがややこしかったですね
早朝、ホテルから、市内西側の観光スポットに向かいます。
道路は以前もそうでしたが、通勤者(?!)でかなり混んでいます。

「ベトナムを訪れる観光客が慣れなくてはいけないのが、このバイクの群れと、道路の横断方法ですね?」
つまり、信号がほとんどないので、道路の横断には強い意思が大事である!バイクの方が避けるので、決して止まったり、反対に駆けだしたりしては危ないのである。

もうひとつは、排気ガスのすごさである。
流石に、ネパールほどのひどさ(生ガスの香り?!である)はないが、マスクが欲しい?!
(バイクの女性運転手は、全てヘルメットとマスクで顔が見えない。日焼け予防のため、肌を殆ど露出していない)

先ずはフラッグ・タワーと歴史軍事博物館に向かうが、歩きは流石に汗が噴き出る。
フラッグ・タワー(ベトナム軍事歴史博物館) 今では貴重になった(?)レーニン像
軍事博物館の中には、ベトナム戦争で活躍した兵器類が屋外で展示してある。
「あーっ、ミグ戦闘機ですね。陸軍や空軍の主要兵器が展示してありますね。あの頃のニュース映画で良く出て来ましたよ」
Bergenが回想します。

続いて、有名な世界遺産の「タンロン遺跡」に向かいます。
門の前で若い女性たちが、何らかの撮影の最中です。何度も同じシーンを取り直しています。

「いやー、若いから何度も行っても疲れ知らずですね!」


門の内側では、大学(?!)の卒業証書授与式でしょうか?
大学帽にガウンの若者たちが群れて記念撮影です。
タンロン遺跡で撮影会? 華やかな女性(少女?)達
今回の旅行の強みである、「自由に時間を使える!」利点を最大限に発揮する。
「とはいっても、ツアーでないから当然なのです。
ゆっくりと日陰で休めるというものです」


ゆっくりと遺跡の中を歩きますと、色々な記念碑的な建物が見られます。
まさしく、歴史の中を漂流しているかの感覚にとらわれます。

タクシーでホテルに戻った際に、トラブルが!!
「(運転手が)わざと遠回りしている!メータの半分しか払わんぞ」
口論の末、文句を無視して(?!)強引に下車します。
「流石、KKさん!」
タンロン遺跡内にて オペラハウス
明日からのサパ旅行を予約します。
パックツアーでは1人$1050という、べらぼうな値段(サパから2泊3日の登山ツアーを含む)でしたが、バス代だけなら何と200000VND(日本円で1000円)だけです。
勿論、現地の宿は、現地で確保です。

タンロンの水上人形劇を堪能した後は、オペラハウス近くのレストランで夕食です。
「さて、どんな料理がいただけるのかな?」
2階建ての、なかなか豪華なレストランです。

「さあ、食事ですよ!!」
色々なベトナム料理の名品が運ばれてきます。
昨日と変わって、今日は野菜料理が多いですね。
「今日もまた、なかなかおいしいですよ!」
夕食のレストラン パリパリの皮がおいしい夕食
5月21日(土)
サパへ(高速バス)

マノイ出発ー(高速バス)ーサパ
宿泊:マウンテンビューホテル
今日はサパに移動の日です。
結構距離があるので、朝早くから出発します。
ホテルに迎えの車が来て、集合場所で寝台バスに乗り換えます。昼間なのに、なんか変わった気になります。落ち着かないことおびただしい。
「今日はバスなのでサパまで直行ですね。サパでの清涼な高地気候が楽しみですね。なんせ、ハノイは蒸し暑い。また、ファン・シー・パン山頂での眺望を期待しているのですが?」
さて、どうなりますことやら...
出発の朝、Bergen 日中なのに何故か?寝台バス
サパまでの移動は、これまでは通常、寝台列車で中国国境の町、ラオカイまで向かい、そこから連絡バスで入るものだった。ところが最近では、高速道路の発達で、(一旦、北方のラオカイまで行かなくとも)直接、はいれるようになった。
「この情報は、OTさんの御手柄ですね」

寝台バスはひたすら高速道路を進み、途中で妙に出入りするなど(まだ全線が完成していなかった?)紆余曲折を経て、一旦SAに入ります。

「此処で勘違いして頂いてはいけません!
先進国(日本も含め)の様な近代的なSAではなのです!
掘立小屋のような建物が並んでいるのです。
まだ暫定的なSAの建物だからでしょうか?」

昼飯は、肉入りのフォーを頂きます。


はるばると到着したサパは、生憎の天候!。
「複雑な天国ですね(?)」

教会の向いにツーリストがありました。
「ここでこの地での宿を探しましょう。
結構の数の建物があるのですね」
途中のSA(?)で昼食 サパの教会
今夜の宿は教会の近くの「マウンテンビューホテル」に決定。歩いても5分ほどの距離です。
「このホテルからも、ファン・シー・パン山頂が見えるそうですが?!しかし、ここからは一面の霧の海です」 

シャワーを浴び、暫く休憩したのち、町内の観光です。
と言っても、この辺りには興味深いものはまったく見られません。
「少数民族の村巡りなどは明日ですね」
ツーリストで明日の「バック・ハー市場と少数箕民族の村巡りのツアー」を申し込んでおいたのでした。
宵闇が迫るサパの町並み サパでの夕食
雪山山頂 西峰の手前で
5月22日(
サパからバック・ハー市場へ

サパ出発ーラオカイバック・ハー市場ーサパ
宿泊:マウンテンビューホテル
早朝にホテルを出発。
此処から市場までは、ラオカイ経由で3時間かかるという。
例によってホテルまで迎えが来る。

ガイドは小柄な少数民族の女性である。
「赤い帽子と幾何学模様のグリーンのスカートと黒いタイツ。コスチュームと綺麗に手入れをした前歯が印象的です」
(どこを見てるんだか?!)

まず最初、ラオカイまでひたすら曲がりくねった山道を下る。
そこからはほぼ平地を、更にどんどん進むと、目的のバザールです。
前を行くOTさん(左)とガイド(赤帽) 土産を漁るSAさん
色とりどりのカラフルな家並みが見られる。
その間の通りや広場には、沢山のお店(所謂、露店ーむしろフリーマーケットという雰囲気か?)で溢れている。
その主体は、多くの少数民族の皆さん(殆どが、女性)である。
少数民族の女性(花モン族) 少数民族のパラソル店舗
皆さん種々のカラフルな衣装をまとっておられます。
コーンから作られた蒸留酒を試飲させてもらいます。
「うーん、これは(日本の)焼酎そのものですね!」
少量ですが、買ったのは勿論です。
少数民族の女性(花モン族) 少数民族の路上店舗
次いでは、土産物を探しますが、衣装はやや小ぶりなのと、意外と重たい。
「ココヤシの実に螺鈿細工した器なんか良いですね」
思わず買ってしまったが、結構高い買い物についてしまった?!

夕食は教会近くのレストランで摂り、ホテルに帰る前にナイトマーケットに向かいます。
教会前の広場にいくつものブースがあるようなのですが、暗くてよくわかりませんん
「大勢の人が来ていますね!それにしても、サパは大観光地なのですね」
ココ椰子の実で作った螺鈿細工 雨の中、ひたすら客を待つ
5月23日(月)サパからファン・シー・パン登山(ロープウエイ)へ
サパーー(ファンシ・パン ロープウエイ)−ファンん・シ・パン登頂
宿泊:夜行寝台列車
今日は生憎の小雨模様の空である。
今日しか登る時が無いので、雨天決行である。

ホテルにタクシーを呼び、ロープウエイ山麓駅まで送ってもらう。帰りの迎えも依頼する。気持ちの良い運転手だ。

山麓駅周辺は整備された公園のようで、いろいろな施設が整備されている。
「日本の観光地、たとえば木曽駒や立山のようですね」

時間が来ますと、エスカレーターに乗ってロープウエイのゲートに向かいます。途中から眺める段々畑の様子は、素晴らしいの一言に尽きます。
雨に煙る早朝のサパの町並み ロープウエイから見下ろす段々畑
ロープウエイは中々の大型で、20人くらいは乗れそうです。
眼下に樹林帯中に登山道らしきものも見えるようです。開通して間もないためなのか、ロールを支える鉄塔の根元は、まだ掘削した岩盤が露出したままです。資材も方々に置かれています。
「開通を優先したのでしょうね。それで無くとも、昨年に開通していたはずでしたから。今回は中国、ラオス方面の大眺望は期待できそうもない様ですよ?」
ロープウエイ車両内にて20名は乗車可能だ 山頂駅のロビーにて
山頂駅も霧の中ですが、中々立派です。
取りあえずは山頂まで、急な階段道を歩いて行きます。
途中に門、寺院や案内の看板があります。

「こちらの建物もまだ完成半ばですね。階段の手すりで壊れかけているところもありますね。やはり突貫工事だったのでしょうが、それに付けても(ロープウエイを利用できたのは)有難いことです!」
そう言われれば妙に納得です。

とうとう頂上に到着です。
記念撮影しますが、登山者(!?)の少ないのは、天候のためでしょうか?
山肌を穿って階段道は進む 山頂にて
視界も利かないので、頂上に長居は無用です。
そそくさと下りに掛かります。
途中でお寺の中にも入ります。
作り立てなので、ぎんぎらぎんが眩しいです。
「もう一方のお寺はまだ骨組だけですが、此処は立派ですね」

帰りにお願いしたタクシーの送迎時間まで、まだ十分に余裕があります。山頂のレストラン群も充実しているようです。
物見高い我々は、当然ながら偵察に出かけます。
「先ずは腹ごしらえしませんか?
それにしても、すごい施設群ですね」
途中の御堂 山頂駅のレストランで昼食
われわれが登ってきた時間は、通常、結構混んでいる時間なのでしょうが、登山者の数は極めて少ない。
だが、そこそこ登って来られます。
「矢張り、天候の加減と、まだ認知度が少ないのでしょうね?それとまた、乗車券が高い?」

山頂駅からの下りのロープウエイにも、どんよりとした霧がかかっています。
「もう、此処では思い残すことはないですね」

今夜は寝台列車での宿泊です。
山頂駅でも豪華な食事が楽しめる 山麓駅のロビー
夕方に車が迎えに来ると、ラオカイに向かって下るバスの集合場所まで運んでくれる。
夕刻、暗くなってからラオカイに到着。
直ぐに食堂に案内されて、夕食だ。
駅の待合室には大勢の人たちが並ぶ。
「列車の出発までの待ち時間が長いですね。
でも、食堂でバスの係員が鉄道チケットを交換しておいてくれたので、乗れることは確実なのでしょうね。
KKさんらのスペインでの経験があるので、(寝台列車かどうか?)気が許せませんね」


スペインで、
「寝台列車を申し込んだはずが、普通客車であった」
痛恨の思いがフラッシュバックのように蘇るそうです。
「えらくトラウマティックな体験だったのですね」
幸いにも、今回は杞憂に終わりました。
出発までラオカイ駅構内で待つ 列車の乗り口を探す
5月24日(火)サパから(夜行寝台列車で)ハノイへ
サパーラオカイ=(夜行寝台列車)=ハノイ

宿泊:ダリアホテル
列車のコンパートメントは進行方向と直角の、2列の2段ベッドである。就寝前に、市場で買ったコーンの焼酎を頂く。
「いやー、これで安心ですね」
よほどスペインでの感違いがトラウマだったのだろう。
KKさんも、OTさんも盛んにそのことを話される。

レールの継ぎ目の振動が睡眠を妨げるが、いつの間にか寝入ってしまった。
気がつけば、列車はハノイ駅に滑りこんでいた。
到着したホームは、前回に訪れた東側の駅でなく、南の駅舎だった。大勢の乗客がぞろぞろと降りてゆく。
貨物車にはバイクも載せてくれるのですね」

朝から雨天に見舞われ、タクシーでダリアホテルまで向かう。
列車の通路 貨物車にはバイクも積んでいる
流石に朝早いので、ホテルの玄関ドアは閉まっている。
門前で戸惑っていると、流石!ベトナムである?!
近くの店の住民(?)が、ドアを叩いて、スタッフを起して呉れるではないか!
「えっ、助かりますね」

ロビーで仮眠していたホテルのスタッフを早く起こす羽目になってしまった。
しかし、当方においては「ラッキー」である。

既に顔なじみの面々である。
厭な顔も見せずにチェックインしてくれる。上
「しばらく休んで、朝飯を頂きましょう。
早々にホテルに来て正解でしたね」
旧市街の町並み 旅行者が乱立している
昼からは、今までに見残した観光地を巡ります。
ハロン湾のツアーも申し込みました。
お土産なども多少買い求めます。
町の地形も、漸く分かって来ました。
「旧市街はまるで迷路のようですね」

「刺繍画が中々良いですね」と、Bergen。
何度も下見に行ったので、店員さんともすっかり顔なじみになりました。
「虎が水から顔を出す絵」が、とても気に入りました。

旧家保存館(マーマイの家) 漸く夕食に
5月25日(水)ハノイからハロン湾(船上 泊)へ
8:00(バス)ハロン湾
宿泊:船内
今日も何とか青空です。
「山中はあまり天候に恵まれませんでしたが、船の上で晴れてもね?しかし、雨よりは良いです」
美人3人と男1人の奇妙な一行である。
「今日はいろいろなエンターテイメントが目白押しですよ!!」

先ずは波止場から連絡艇で、3日間を過ごす{母船(?)」に向かいます。
参加者は殆どが白人の若い連中である。
連絡のボートで船に渡る
船内の居室
アメリカ人もいるが、圧倒的にヨーロッパ人が多い。
英国、ドイツ、フランス、デンマーク、スペインなどである。
皆さん、休暇や大学卒業後の機会を利用して来ているようだ。

舟はあまりぱっとしない海岸線を進むが、次第に多島海の海になる。
途中の島々は何れも急峻な崖で覆われ、しかも海岸線は何れもオーバーハングの断崖になっている。
「潮の満ち引きで浸食されたのでしょうね」
展望台にて 展望台にて
所々の観光スポットにより、展望台や水泳場、更には鍾乳洞を見て回る。
「展望台から眺めると、湾の様子がよく分かりますね」

湾内で一番大きな島には、このハロン湾の開拓に尽力したロシア人(何故?ロシア人?)の巨大な石像が建っている。
ロシア人の像 湾内は何処も静かな海面である
もうひとつのアクティビティが「カヤック」である。
ライフベストを着けて、タンデム(2人乗り)のカヤックで近くの湾内を巡るのだ。
ガイドがメンバーの「キャリア(カヤックの慣れ具合?)」を勘案して(?)、ペアーを決めてゆく。

Bergenは英国人の青年(18歳だといっていた。
3人グループで、初々しいことこの上ない)
と一緒である。
本来なら後が指示するのであるが、この青年にそこまで求めるのは無理だ。
結局は、Bergenが前で方向転換する羽目になる。

今夜は舟の上で過ごす。
「これはとんでもな、楽しい体験ですね」
シーカヤック遊び 鍾乳洞
5月26日(木)ハロン湾、キャットバ島へ ハロン湾ーモンキーアイランドーキャットバ島 宿泊:キャットバ島ホテル
湾の奥の穏やかな海面には、多数の海上の筏が固定されている。筏の上には、数多くの施設、主には家屋であるが、中には魚の養殖場や、真珠の養殖場もある。
「此れから、真珠の養殖筏に行くのですね」

かなり濃簿の大きな筏が多数連結してあり、店舗もその中にある。中に入ると、陸上の施設と言っても分からない?
「ほーっ、色々な真珠細工があるのですね。ネックレス、指輪、ピアス、ブローチや絵画。見るだけで十分です」
買われている方は、何方もおいででありませんでした。
何しろ、ツアーの参加者は、各国(殆どが欧米人)の若い人達!ばかりなのです。

「高齢者は我々だけですね」
真珠養殖場の観光 ハイキングの山より見下ろす
途中で「モンキーアイランド」に寄り、ハイキングも楽しむ?
同行者は、デンマークから来た2人連れのお嬢さんたちである。(彼らにとっては珍しいかもしれないが、我々山屋には珍しくもなんともない?!)

しかし、暫し話を聞くと、
「休暇で、デンマークから初めてのベトナムですか?
えっ、これから3週間、オーストラリヤですって?!」
かの地の休暇は(噂には聞いていたが、現実に)、とてつもなく長いようだ。
モンキーアイランドのサル ナイトバザール
5月27日(金)ハロン湾からハノイ 宿泊:ダリアホテル
前夜はキャット・バ島のホテルで快眠。
矢張り陸の上での(揺れない、広い)寝室での睡眠は最高である。町の規模こそ大きくはないが、色々な店舗、ナイトマーケットや水上レストランなど、興味は尽きない。
「今日はハノイに戻る日ですね」
新港のゲート キャット・バ島の港にて
名残惜しいが、ハロン湾ともお別れです。
3日間、晴れて良かったです。
「山では天候に恵まれませんでしたが、
海ではラッキーでしたね」


ハノイまでは渋滞した国道を延々と進みます。
近郊に近づくと、懐かしい雑踏のお出迎えです。
クルー 鮮やかな赤い帆の船
5月28日(土)ハノイから関空へ 〜(MM036)〜8:00関西
朝食後、バッチャン村に行きたいという、KK,OTさんらと分かれて、我々2人はハノイの「ホアロー収容所」に向かった。
ホアンキエム湖のすぐ南にある施設は、大部は高層の再開発ビルに置き換わっているが、一部は大切に保存されている。
「此処はフランス統治時代の弾圧の歴史の生き証人ですね」

中庭には、囚人たちが飢えを慰められ、労苦を癒されたという、アーモンドの巨木が茂っている。
ホアロー収容所 アーモンドの木
館内には、写真や模型などで、弾圧の歴史が物語れている。
思わず目を背けそうになる写真も掲げられている。
「歴史は語りますね。思えば、旧宗主国の中国との闘い、フランス統治時代、インドシナ戦争、ベトナム戦争、対中戦争など、ベトナムの歴史は、侵略者に対する戦争の歴史でしたね」
囚人たちの様子 生首の写真も
町中を歩き続けますと、喉が渇きます。
前から目を着けていた、「ビアホール」に入ります。
「それでは、乾杯!」
冷たいビールで乾杯しますと、ほっとします。

此れからも癖になりそうな、楽しい旅でした。
「行方定めぬ(勿論、ある程度の骨格は決めているのですが)波枕(「琵琶湖周航の歌」の様ですか?)は、楽しいですね」
KK,OTのお姉さま方、有難う御座いました。
ビヤホール ビヤホールでビールを頂く
5月29日(日)関空へ 今日は帰国するのみ。誰言うとなく(出発まで観光にも行かず)ぐうたらを決め込む、惰眠を貪る?
強行軍のお疲れが出てきた?
まあこんな日もあってよろしいでしょう
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