カランクルン、北イタリアドロミテ、オーストリア、南ドイツ、ハイキング&フェラータツア

2013年8月29〜9月8日     リーダー:HTさん、カランクルン会友:NK,SMさん、淀屋橋労山:Bergen
ドロミテの中心、コルチナ・ダンペッツオ

8月29日(木)
移動日

久しぶりのヨーロッパの山です!
「いやー、2001年のモンブラン」以来ですね!嬉しいです!
今年3月のネパールではイマイチでしたから」

(病気は厭ですね。ことに外国では最悪です。
皆様、お気をつけ遊ばせ!)
ドロミテ山塊の中心のコルティナ・ダンペッツォ(標高1,224m)は、トファーナ(3,243m)、クリスタッロ (3,221m)、ファローリア(2,331m) などの最高峰に囲まれた人口約7000の街です。
イタリア北東部オースリア国境沿いですが、ヴェネチアから車で2時間程でした。
ここには、60軒を超えるホテル、約80軒のレストラン、50軒以上の山小屋が密集しています。
1956
年には冬季オリンピックが開催され、現在ではイタリアで最も有名なマウンテン・リゾートの一つに数えられています。
ドロミテの女王と形容されているこの地では、森、湖、滝などといった自然のハーモニーが織り成す壮大なパノラマが、一年中満喫できます。
友人の誘いで、ヨーロッパアルプスハイキングに出かけました。その主目的は、ドロミテの山々のハイキングやヴィア・フェラーター(鋼線で確保された岩登り)巡りと、モンブラン登頂でした。
私は前半の行程にのみ参加しました。
残りのメンバーは、19日間での予定でモンブランを目指します。

8月30日(金)
ベネチアからドロミテへ

宿泊:リストランテ・オスペターレ

関空からトルコ航空、イスタンブール経由でベネチア入りです。空からのベネチア入りは初めてです。
「前回は確か、25年位前でしたね!懐かしいです。サンタルチア橋も昔のままですね」
ベネチアに先行していたH隊長と合流します。
これからはレンタカーで一路ドロミテに向かって出発です。

高速道路を直進すると最短距離で到着します。
でも、時間も十分にありますし、折角ですから少し回り道して行きます。
「このアルプスの景色は素晴らしいですね。
全てが綺麗に整えられていますね」

ベネチアで借りたレンタカー、日産でした ファルツァレーゴ峠の避難小屋
昼食は途中のレストランで摂ります。
急峻な岩山が待ちの直ぐ裏に聳えています。
テラスでの昼食は最高です。
「あーっ、流石!ヨーロッパ、イタリアですね。
生ハムなどの食材がおいしいです」

ビールも最高です。

昼食を済ませると、更に谷筋を進み(雰囲気は上高地から徳沢?)、峠を越えてドロミテの中心地コルチナ・ダンペッツオに入りました。

「いやー、聞きしに勝る綺麗なところですね!」


メインストリートに立ち並ぶエレガントなブティックが目を引きます。最新のイタリアンファッションや、伝統ある手工芸品などのショッピング。
山の中にありながら、洗練された都会の要素も備えています。、実際に、ナイトライフ、そして博物館、美術館巡りなどと様々に楽しめるようです。

「そんな風雅な時間と金は(我々には)ないですね?」
コルチナ・ダンペッツオの遠景 コルチナ・ダンペッツオの教会

8月31日(土)
ドロミテ、ドライチンネ(伊:トリチメ)へ

宿泊:トファーナ山群
リフジー(避難小屋)デュッカ・ダオスタ(2060m)
翌日は、イタリア北東部のドロミテの象徴(!?)、ドライ・チンネ(三つの岩峰の意。イタリア語はトレ・チメ)に行きました。
ここは石灰岩の大岩壁や針峰や奇岩を持った山々が連っています。
その麓は緑豊かな牧場(まきば)や森林が広がって、世界自然遺産にもなっています。

この地方で、このワイヤーを伝って岩壁を登ることがロッククライミングとは別の新しい登山スタイルとして発展してきました。
それがフェラータです。
我々は、峠近くの近くの易しいフェラータに行きました。
地形図ートレ・チメ、ドイツ語ではドライ・チンネン トレ・チメに向かう有料道路の入り口で
見上げると、垂直近くの巨大な岩塔がにょきにょきとそそり立つているではないか!!
「ドロミテの有名峰ですよ。
1000m以上もある岩峰のアチコチにクライマーが取り付いていますね」


山だけではありません。
登山道の周囲には沢山の花たちが、少し遅い目ですが咲いています。山だけでなく、花も目を楽しませてくれます。
「まさしく、この世の天国ですね(?)」

避難小屋から周回する登山道のコルに出てきましたら、
向かう山の中腹に洞穴が掘られています。
「あれもフェラータ―のようですね。行ってみましょう」

余り気乗りのしないH隊長(トレチメの周回を考えられていたようで、そこに行くと時間切れになる!)に一同、無理にお願いし、登ってみました。
トレ・チメの遊歩道をラバレド避難小屋に向かう 避難小屋からコルにて、背景はトレ・チメ
岩山の中腹に入り口の標識が着けられています。
此処でハーネスを装着します。
此処はその昔、第1次世界大戦でオーストリアとイタリアの兵士が山岳戦をした舞台だったようです。
途中には真っ暗なトンネルや、切れた断崖、急な岩壁の登りが続きます。

ワイヤーが岩壁に沿ってい張り巡らされてされています。
ロープ(8mmx2m)の両端に安全管付きカラビナを付け、その中間をハーネスに固定します。カラビナを掛け替えて、セルフビレー(自己確保)しながら登ります。
最後に狭いトンネルを抜けると、山の反対側の斜面に出て来ました。
「これから先に向かうと、大回りしないと帰れませんね。
戻って、(もと来た)避難小屋に帰りましょうね」
 

ラバラッド避難小屋でまたまた美味しい昼食を頂き、帰りにはかの有名なミズリーナ湖に寄りました。
「湖の対岸に見えるホテルと、その背景の岩山は余りにも有名な景色ですね」
トレ・チメのフェラータ―にて トレ・チメの南、ミズリーナ湖

9月1日(日)
ドロミテ、トファーナ・ディ・メッツオ(3244m)へ

宿泊:トファーナ山群
リフジー(避難小屋)ディボーナ
(2037m)

今日はドロミテの華?!、トファナ山塊の最高峰、
トファナ・ディ・メッツオの登山です。
そう言っても、ロープウエイでのお手軽登山です。
下りのフェラーターガ楽しみだったのですが...


トファーナ山群の概念図 ロープウエイ山頂駅近くの霧
昨日は「トファナ・ローゼス」の麓の、ディボーナ避難小屋に泊まろうと(電話番号が分からないので)林道を延々と行きましたが、生憎の満員。止む無く、(次善の策!)明日夜は可能の由。さっそくH隊長は予約しましたが、さて、宿は何処に?今行程の(?!)最大のピンチでしょうか?いえいえ、ご心配ありません!!
「正解!
幸いにも!その近くのデユッカ・ダオスタ避難小屋に確保。危機を乗り越えました!!!」


今日はコルチナの直ぐ近くのトファーナ山群の最高峰のメッツォ山に行きます。先ずはリフトでリストランテ・ピエトファンまで下り、歩いてコル・ヅルシエのロープウエイ乗り場まで歩きます。
「信じられないような場所にまでロープウェイが掛けられています。山頂までロープウェイを乗り継いでいけるので、お手軽ですね」
トファーナ山群のリフト トファーナ山群の最高峰、トファーナ・メッツオに登るロープウエイ
「(山頂まで)すごい傾斜ですよ。
ロープウエイの標高差ですよ!」
ラ・ヴァレ避難小屋でロープウエイを乗り換えます。
山頂付近はガスに隠れています。
目的のフェラータ―は、メッツオの山頂から右の稜線を下り、ルンゼを降りて目の前の広大な斜面をトラバースする様です。

ロープウエイの終点駅舎は、これまた立派な避難小屋が併設されています。
立派な階段と岩屑の登山道を辿れば、山頂はすぐ目の前です。
「少しガス模様ですが、此処からの眺望は最高ですね」
山頂のトファーナ・メッツオに登る2本目のロープウエイ トファーナ・メッツオ山頂にて、Bergen
フェラータを経由して麓に降りる予定でしたが、ルート上に雪が残っているのでH隊長の峻厳な判定!
「こりゃ、無理ですよ」
ロープウエイで下り、途中駅からのハイキングに変更しました。
「折角本格的なフェラータを期待していたのに、返す返すも残念ですね!」

お昼過ぎには麓に降り立ち、本場の美味しいイタ飯とビールのランチ…というのが、最近の日課です。
「これでは体重も腹囲も増えますよ!」

今夜は、あの憧れの「ディボーナ避難小屋」での御泊りです。大部屋(4組ほどの2段ベッド)で、我々と遅れて来られたフランス人(?)のご夫婦でした。
「美味しいディナーとワイン、シャワーもあって最高ですね」
トファーナ・メッツオからデントロに向かうフェラータ―は積雪が! トファーナ・メッツオ、中腹のラ・バレ避難小屋より歩いて下る

9月2日(月)ーチンクエ・トッリよりアベラウ山(2649m)でフェラータ
宿泊:アルベルゴ リストランテ
「ラ・バイタ」

この前のトレチメの周遊道で偶然にフェラーターもどき(!?)を体験した我ら、「ドロミテ老年遠征隊」
イマイチ、心の底の満足感が癒されません。
「今回は、まっとうなフェラーターを経験しよう!」と、果敢な(!?)挑戦です。
此処はH隊長のホームゲレンデのようなので、楽勝な様なのですが、舌の肥えた(?)我々老年トライアングル?
さて、いつものようにどうなりますやら?


チンクエ・トッリ、アベラウ山の周辺図 アベラウ山のフェラーター
今日も素晴らしい晴れ空です。
ディボーナ避難小屋からR48まで戻り、2150mのファルザレーゴ峠手前のリフト乗り場からチンクエ・トリ(5つの門)に向かいます。今日の目的は、アベラウ山でフェラータです。

樹林帯の急な谷沿いの斜面をリフト終点まで登りつめると、広大な草原が広がります。
そこからでも広範な眺望が素晴らしいです。
H隊長は何度も来ているので冷静ですが(この人は何時も冷静です、冷静を務めています)、我々は大感激です。

高く鋭い岩山群と広がるアルプ!飽くまでも澄みきった蒼空!振り返ると朝日に照らされたトファナ・ディ・ローゼスが鮮やかです。
チンクエ・トッリに向かうリフト トファーナ・ディ・ローゼスを見上げる
取りあえずはアヴェラウ避難小屋まで、緩やかな高原を歩いて行きます。空気は乾燥して、汗もかきません。
「こちらのハイカーやクライマーは、日本の山登りは(樹林帯の登りがあって)ジャングルや!と言うらしい」と、のたまわれます。なるほど、そう言われれば納得です。

小屋からはトラバース道をフェラーターの取り付きまで移動です。何処にでもあるような、砂礫帯の登山道です。
「此処から取り付きですね」
明らかなフェラータの下端が見えています。
ハーネスを着けて、いざ挑戦です。
此処は易しい所のようで、傾斜も、(カラビナの)切り替え場所も問題ありません。
アベラウ山のフェラータ― アベラウ山のフェラータ―
唯一問題あるとするならば、フェラーターを終えてからの、山頂までの砂礫帯の登りである。的確にルートを見定めないと、奇妙な地点に出てしまう。
「傾斜はそうきつくないし、高みへ高みへと目指していけば、大丈夫でしょう?」

H隊長の先導の下、「平日ならず者登山隊は、無事登頂を果たしたのであった。登頂後の甘い果実は、勿論、小屋での大宴会でした。
アベラウ山山頂 アベラウ山、リフト終点の避難小屋
食事とワインが進むにつれて、
「アベラウ山のフェラータは短か過ぎる!」
批判が舞います。
そこでH隊長の、フェラーターのガイドブック(これがなんとイタリア語!辞書ー英伊、伊英ーを持ってきた甲斐がありました。20年ぶりのイタリア語です)を読みますと、
どうもピッツ・ボエのフェラーターが易しそうです。
「我々の力量では、これくらいが適当ですね」
隊長もそれを考えておられたそうで、翌日の予定が決まりました。
アベラウ山の避難小屋での昼食 アベラウ山よりリフト乗り場に下る
下りもリフトに乗車ですが、その前に、チンクエ・トーリ(伊で5つの門)の一つの岩峰を見に行きます。
結構急な傾斜です。「ほぼ垂直に近いですね」

H隊長がのたまわれる。
「ここでは練習用のゲレンデでしょう。
それにしても大勢のクライマーが取り付いていますね」

本場の岩のゲレンデは、迫力十分である。
しかも、日本と異なり、アクセスが極めて楽である。


「これは(岩登りの技術に)差が出来るはずですよ」

我々は本格的な岩の用意もしてないので、残念ながら眺めるだけですが、
日に期待です。

今夜の宿泊は、チェルマドイ街道の
ホテルレストラン(フランス語で言うオーベルジュ)「ラ・バイタ」です。ご主人自ら調理された料理を楽しみます。
勿論、ワインも、連日の酒宴です。
チンクエ・トッリの岩場、昔の山岳戦の舞台だった チンクエ・トッリで岩登りの人々

9月3日(火)ーマルモラーダー山(ドロミテ最高峰)
プンタ・ロッカ(3265m)

宿泊:La Villa ガルニ 「MJARJAM」
マルモラーダー山頂付近のイラスト

最初の宿を除いて、全て飛び込みですが、宿の当たり外れは少ない。
いずれもスイスのシャレー風の清潔な宿である。
隊長は何度も来ているのでそのあたりは抜かりがない。我々も大船に乗ったつもりで移動する。期待はあれども、不安は全く無い。


今日は
ドロミテの最高峰で唯一氷河のあるマルモラーダ山にロープウェイ登山。
絶快晴でドロミテの素晴らしい景色を楽しみました。

マルモラーダー山周辺登山地図 昨日の宿 アルベルゴ リストランテ 「ラ・バイタ」
朝早くからロープウエイ乗り場には、大勢の人たちが並ぶ。
といっても日本の観光地ほどでは全く無い。
「流石は人気の山ですね。雪(氷河)があるのと、その優美な山容や名前もいいですからね。また、楽に山頂近くまで(ロープウエイで)いけるのも魅力ですね」
本当は途中から(モンブランの練習で)氷河を登るつもりでしたが、装備の関係で割愛されたのでした

今日も空は晴れわたっています。
ロープウエイはこれまた、急な傾斜で登ります。
「えらく真下に麓の駅舎が見えますね」
ここも途中でロープウエイを乗り継ぎます。
マルモラーダー山、登山ロープウエイ駅 山頂駅の展望台にて
この山も、途中は広大なスキー場である。
今では荒々しい岩盤の斜面も、冬には一面の素晴らしいピステに変身するのだろう。
「これはぜひとも冬のスキーに来ないといけませんね。八方尾根もニセコも、〈外国人スキーヤーの大増加で)国境は無いのに等しいですからね!」

H隊長がノタマワレル。
「何時でも案内しますよ」

頂上は氷河の上を登り、最後に岩峰のクーロアールを詰めて登るようである。これも十分な装備が無いと行けない。
「また宿題が残りましたね」
また来る気である?!
マルモラーダー山頂駅(プンタ・ロッカ)より雪上に出る La Villaの宿舎

9月4日(水)ーコルバラ(1568m)からピッツ・ボエ(3450m)登頂

宿泊:アルベルゴ リストランテ 「ガーデル」

今日はガイドブック(イタリア語)で易しいフェラータ―と記載してあったビッツ・ボエに登頂。ここでは、(4時間ほど)上り下りのアルバイトに要しました。
今日も青空です。
恐らく、我々の日頃の行いが非常に良いので、神様がご褒美を下さったのでしょう。
「感謝して、恭しく頂きましょう」
男4人のむさくるしい一行であるが、仲間内の連携は非常に良い。阿吽の呼吸で物事が進行して行きます。

「あれがゴンドラ乗り場ですね」
此処のゴンドラの搬器は、鳥かごのような面白い形をしている。天井が高いので楽チンである。
「非常に開放感がありますね」
コルバラ登山口のロープウエイ乗り場 ゴンドラに乗車、今日も晴である
此処のロープウエイも急な傾斜で登ります。
「やはり真下に麓の駅舎が見えますね」
ここは終点でリフトに乗車します。

リフトを降り立った所は、小さな台地になっています。
向う先は巨大な岩の壁で、その脇に小さな登山道が着けられています。
「このルート標識も分かりやすいですね」
登山先進国の誇りを象徴するような、立派な標識です。
終点のロープウエイ 登山道のルート標識
途中でフェラーターの標識がありましたが、隊長は今日はノーマルルートを行く由。お声掛けしましたが、却下のようです。「折角期待して前調べもしたのに、残念ですね」
まあ、フェラーターでは(所用)時間が読めないので、先の予定が詰まっていると仕方ありません。

かなりの距離をトラバースした後、急なルンゼを詰めて行きます。ガラガラの岩屑で埋まっており、かなりの急傾斜です。
「剣岳の池ノ谷ガリーのようですね」
何でも日本の山に似せてしまう。
その都度、隊長からツッコミが!
「全然違うやろ!」

昨日登ったマルモラーダが、意外な近くに見えています。
此処からも矢張り優美な姿で、
流石!女王!」
と感激。
「我ながら、どうしょうも無い単純さですね」
急なルンゼを登る 意外な近くにマルモラーダーが見える
ルンゼを登りつめたらそこで終わりかと思っていたが、
そうは問屋が卸しません。
「あれが山頂でしょうが、まだ標高差で300mはあるでしょうね」

はるか上の遠くに、山頂の反射板が見えています。
登山者も大勢居られるようです。
「此処からは急な九十九折の登山道ですね」

ゆっくりと登ります。
下りの人たちと行きかいます。
岩屑だらけの登山道ですが、吉はしっかり整備されています。

漸く到着した山頂は、大勢の人たちの憩う避難小屋の広場でした。勿論、ビールで乾杯!!
「山頂でこんなランチが食べれるとは思いませんでしたね」嬉しい誤算でした。
最後の急傾斜を登る、天気が良いので気も楽だ 山頂の避難小屋にて、Bergen(右端)
見上げると多数のパラグライダーも飛んでいます。
何処から飛び立ったのでしょうか?
そして、何処に降りるのでしょうか?

山頂には、ポルドイ峠からも登れますが、何れにせよ歩きが必要なので、マルモラーダーのように純粋の観光客はおられません。それにしても、日本の山小屋を見慣れた我々には、この山小屋のサービスは(重ね重ねの感想になりますが)驚きの連続です。
「日本の山小屋がこのレベルになるまで、あと20年はかかるでしょう?!」
(日本の山小屋の管理人さん、御免なさいね)
紺碧の上空には、パラグライダーが舞う 山頂の避難小屋は大勢の人でごった返す

9月5日(木)
グロース・グルックナー山(オーストリア最高峰):展望

宿泊:ガストホーフ
「シュバイツアーハウス」

オーストリアの最高峰グロスグロックナー(展望台まで)を見ました。
グロスグロックナー山岳道路(Grosglockner high alpine road, Grosglockner-Hochalpenstr
は長さ約50キロメートルの高山道路で、 2000メートル以上の高地に建設されている。 中でも標高2576メートルのホッホトーア峠(Hochtor Pass)は有名な峠である。 この道路はオーストリアで最も景観が美しい道路として有名で、 現在は専ら公園への観光道路として利用されている。


オーストリア最高峰、グロース・グリュックナー山麓のハイリゲンブルートの教会 オーストリア最高峰、グロース・グリュックナー
山道をくねり、展望台の麓の町、ハイリゲンブルートにやって来ました。此処からの境界をへだてるグロース・グリュックナーの景観は、余りにも有名です。
「此処から高原道路が始まるのですね。楽しみですね」

しっかりとした2車線の道路が伸びますが、如何せん!カーブが多い。車は次第に高度を上げ、高みに近づいてゆきます。

やがて視界が広がり、前方は広大な山々が広がります。
終点の一帯は、広大な駐車場ビルと飲食街や博物館です。
「こら、時間が何ぼあっても足りませんね。
日本に例えれば、立山の室堂ですか?」


先ずは少し戻って(空いている駐車場の)レストハウスで食事です。金魚蜂のような、明るい温室部屋で、山頂が良く見えます。
展望台より眺める、オーストリア最高峰、グロース・グリュックナー 展望台の食堂、グリーンハウスになっている
展望台に行く道路はそこで行き止まりなので、
インスブルック、ガルミッシュ・パルテンキルフェンに向うなら、少し戻って峠越えです。
これまた2000mを越す峠道です。

途中の山頂に寄りますと、四方八方が良く見渡せます。
グロース・グリュックナーの山頂もその裏側を見せています。

今夜の宿は、国道沿いのシュバイツアーハウスです。
「今回(の宿は)は少し探し周りましたね」
?ピークの展望台 ガストホーフ「シュバイツアーハウス」

9月6日(金)
ガルミッシュ・パルテンキルヘン(独)に移動
ーツークシュピッツエ登頂ードイツ最高峰
宿泊:ガストホーフ
「レーベン」

ドイツのガルミッシュ・パルテンキルヘンに移動。
最高峰のツークシュピッツェ(ロープウエイからお手軽登頂)にも行きました。

麓のガルミッシュ・パルテンキルヘンはその名の通り、2つの集落(ガルミッシュとパルテンキルヘン)が集まった、ドイツ有数のリゾート地です。
ワールドカップスキー大会などの大きな大会も何度か開かれています。
昼頃に町の案内所について情報を収集。
明日朝に登ってもいいのですが、折角ですから時間を有効に利用しましょう。
「これはさっさと登りましょう。明日の朝から登るなら、忙しないですよ」
ツーク・シュピッツエ交通図 ガルミッシュ・パルテンキルヘンに向かう、ツーク・シュピッツエの遠景
早速、登山ロープウエイのあるEibseeに向かう。
ガルミッシュ・パルテンキルヘンの鉄道駅からは、
ツークシュピッツエ行きの登山電車と、途中のグライナウまでしか行かない「ガルミッシュークラシック」の、2種類の電車が運行されている。前者は、途中のライフェルリスから岩山の中に作られたトンネルの中を登り(勿論、アプト式)、山頂の下の氷河原に終着駅がある。
「まさに、アイガーの登山電車と同じですね」

我々は時間も競っているので、躊躇することなくロープウエイを選択する。
山頂に向かう電車、アプト式である 山頂へ向かうロープウエイを待つ人々
頂上は展望台のすぐ向かい側ですが、ハーネスを着用しなければ危ない山頂でした。
とうとう山頂に到着です。少し霧が出ているのが難点ですが、まあ直ぐに晴れるでしょう。
何回も記念撮影します。
ツーク・シュピッツエのロープウエイ ドイツ最高峰、ツーク・シュピッツエ
この山にもフェラータが設置されています。
頂上の直ぐ脇には、反対方向から登られてくるクライマーさんたちが沢山!
帰りのロープウエイからも、大勢のクライマーが岩に取り付いているのが見えました。
「次回ですな!?」
(またその気になっているが?)
今回は十分な時間も無いので、先ずはお披露目です。

ツーク・シュピッツエ頂上の黄金のポール チューリッヒへ踏切で信号待ち

9月7日(土)チューリッヒから関空へ
前夜は近郊に宿もなく、近くの村のガストホーフ(プチホテル)で宿泊。
極めて快適な、ホスピタリティ溢れる宿でした。
朝方、ドイツ人の医師ご夫婦とお話しました.
「ドロミテ」といっても分かりにくく、Lの発音の重要性(上の歯茎に舌先を付けて発音する)を再認識させられました。
色々と勉強になった旅行です。
今日はチューリッヒに向けて長距離移動である。
途中、リヒテンシュタインも経由するが、パスポートコントロールも形だけである。
「国籍は!」と聞くので、「Japanese(日本人)」言うと、
サッサと行け!とばかりにめんどくさそうに手を振る。

Gastodhof 「Lowen」 ヒテンシュタインの市街を行く
途中、高速道路が一部工事中で、片側の車線と反対側の正中よりのレーンを使って通行規制がなされている。
日本と違って、ぶっとい鋼鉄製のレールが(規制線の間に)設置されている。
「スピード出しているので、あれぐらいの頑丈なレールでないと安全は確保できませんね」

途中の景色もなかなか見逃せないものがありますが、
チューリッヒ湖の手前の、?ゼーの眺望も素晴らしいです。
「あれは有名な湖と針峰群ですよ」
また、H隊長のつまらん(!?)冗談が響きます。

チューリッヒに近くなると、山間の隘路より次第に開けてきます。行使奥道路は、チューリッヒ市街地を大きく巻くように進みます。古い町並みは見られず、新興の住宅が広がります。

やがて空港に到着。
名残惜しいですが、チューリッヒ空港で皆さんとお別れです。定刻のトルコ航空機に乗車して、帰国の途に着くのだと思うと、こんなに早く終わったのか!?と、感慨もひとしおです。。
6?ゼーから峻峰群 各種のリフト、ロープウエイ乗車券ーバーコードである

H隊長のツアー案内より
ドロミテ峰では前世紀で最も冷血、かつ人類の歴史上でもひときはユニークな戦いが行われました。
オーストリアとドイツの兵士たちがこの高い山々の中で、厳しい環境と天候に悩まされながら、食糧や物資の欠乏に襲われて対峙したのです。
1915
524日から191711月まで、最前線はドロミテの巨大な山中でした。 強風と高山での身を切られるような寒さ、そして雪崩が兵士たちの気力を失わせます。まさにこの戦いは敵との戦いではなく、人間と山との戦いでした。
この山々は、岩と戦った粘り強い、そして勇気のある人々への証人なのです。 塹壕、砲台、せまい通路はまだ最前線に残っています。
山裾に見える砲台はシェルターを意味し、そこには兵士たちが暮らしており、または大砲やマシンガンは無意味な攻撃の矢を男達に向けていたのでした。


極めて効率的で楽しいヨーロッパ山行でした。
「ああ癖になりそう!心配です。でももう少し腰を落ち着けてフェラータ―を楽しみかったですね」
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