北河内、野崎観音ー飯盛山ハイキング
2009年4月3日()     単独行

12:10野崎駅前ー12:30野崎観音(昼食)…12:50飯盛山登山口…13:30飯盛山山頂(314.3m)…14:50四条畷駅

今まで何回も出かけてみた買ったが、行く機会が無かった飯盛山。父親の昔話で、楠正行が戦陣を張った地だと記憶していた。
午前の仕事が終わったので、昼から出かけました。
思いのほか山深く、自然が守られ、里人の憩いの山となっていました。
山上からの大阪平野の景色も素晴らしかったです。

飯盛山と野崎観音(慈眼寺)
野崎駅目指して北に進みます。
この辺りは古いお家が多く、その中に新興住宅地が入り乱れています。高い護岸の河川が、入りくねって流れています。

やがて国道171号線を越えると、JR学研都市線(旧片町線)に出会います。
今日の目的のひとつの野崎観音は、正面の山裾に見えています。どうも桜の名所のようです。

「中々素晴らしいですね!」
今回の山行計画は急に思いついたものだが、此処で桜を見れるとは思わなかった。
ゆっくりと昼食を摂ります。
(といってもスーパーで買った寿司とプリンである)
野崎観音(慈眼寺)
寺の裏手より、飯盛山登山道が始まります。暫くは展望台が続く九十九折の尾根道です。結構高度を上げてゆきます。
途中で水場もあります。

やがて一旦下り、川沿いの舗装路から、また急な九十九折の道になりました。
又中々急な登りが続きます。
木の新芽がそろそろ目立つ、混合林の林です。
やがて池から鎖坂を経て、北に進路をとります。自然保護のため、登山道の周囲にロープが張られています。
水場
幾多の小ピークを過ぎ、やがて無粋なアンテナを林立させた建物が見えます。周りの広場には桜の木々があり、提灯も見えます。花は未だのようです。此処から急な坂を下りますと、前方に山頂が見えました。
小楠公の銅像がありました。
そんなに大きくありませんが、中々の壮観です。

此処までくると、四条畷からも登ってこられる方も多いようで、大勢に方が居られます。
時間も迫ってますので、名残が惜しいが出発です。

「さあ!電車の時間が迫っていますよ」
小楠公像
上から眺めて予想していましたが、此処からの下りは急という以上の厳しさです。
「あの眺めなら、当然ですね」
階段、急坂あり、何れも細かい屈曲が連続します。昼過ぎですが、登ってくる人もぽつぽつといます。

四条畷の北から、私市、枚方方面が大きく広がっているのが見えます。。
「此処からの眺望も最高ですね!」
枚方、私市方面
下りは四条畷神社に下りる予定でしたが、尾根を真っ直ぐ下りてしまい、南野より163号線のほうに間違って下ってしまいました。
途中の読図を怠ったつけです。

「思い立って来るにしても、地図は必携ですよ。ナメタラあかん!」

帰りの飯盛山は、里から急峻な高まりとして聳え、とても立派な山容でした。
「こんな近くで、趣のある手軽な山もいいですね」
飯盛山全景
  • 飯盛山(いいもりやま)は生駒山の北部にある標高314.3mの山。
  • 大阪の住民は単に飯盛山と呼ぶが、他の飯盛山と区別するために「河内」を冠することがあるらしい。
  • 山頂付近には飯盛山城があった。
  • 現在は在阪FM放送局の送信所がある。

    楠木 正行(くすのき まさつら)は、南北朝時代の武将。
    楠木正成の嫡男。「大楠公」と尊称された父の正成に対して小楠公(しょうなんこう)と呼ばれる。

    延元元年/建武3年(1336年)の湊川の戦いで父の正成が戦死した後、正平3年/貞和4年(1348年)に河内国北條(現在の大阪府四條畷市)で行われた四條畷の戦い(四條縄手)において足利方の高師直・師泰兄弟と戦って敗北し、弟の楠木正時と刺し違えて自害した、という。。

    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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