大峰、大普賢岳-その1
2003年12月27〜28日     同行者:D.A
記録
12月27日():和佐又山スキー場で幕営、宴会


13:30 A氏宅-大淀町ーオークワで買出し-15:30和佐又山スキー場(登山口)、オートキャンプ場(幕営)

 Aさんが今年最後の近場の山登りを計画したが、予想以上の大雪で目的半ばで敗退した。しかし雪の大普賢岳は大峰の山深さが強調された素敵な山行だった。
 10年程前には非積雪期だったが、前任の吹田の病院の山の会メンバーと出かけた。数多くあった鉄の階段は、今回の山行では殆どが雪の下であった。

  何時ものように湾岸線から堺泉北線を経て狭山に到着。此処でAさんのXtrailに乗り換える。オーナーは冬用のスタッドレスタイヤに履き替えたと自慢げにおっしゃる。
 彼も最近は暇を見つけては山に行っている由。10日前には大峰の弥山に出かけたと言う。山の積雪量こそ20cm程だったが、新雪が自然林に映えてそれはそれは美しかったとのこと。彼は今回の山行もそれくらいの積雪量と考えていたようだが、現場でこの考えの甘さを嫌と言うほど実感させられた。今回同行するはずだったN君も同様。奈良の人間でありながら、その判断力の甘さに足をすくわれてしまった。結果的に2人だけの山行になってしまった。
 
 新伯母峰トンネル迄は路面の雪もなく快調に進む。トンネル出口を右折し、和佐又山への林道を進むと、急に積雪が目立つ。車のわだちが深い。林道はかなりの急傾斜で、しかもカーブの連続だ。雪は小降りだが降り続いている。嫌になる頃、見覚えのある和佐又スキー場の建物が見えてきた。早速今夜の幕営をお願いしたら、奥のオートキャンプ場に屋根付きのテンバがあると言う。深い雪の中を300m程進むと、目的地に到着した。

和佐又スキー場オートキャンプ場にて
ー奥の右手の炊飯棟の下に幕営した。

飛鳥鍋、つまみにカツオたたき、イカの黄金和えの夕食
 今夜のメニューはAさんのお勧め、「飛鳥鍋」と言う。何でもコンソメ、塩風味の牛乳で鍋を作り、それに鶏肉、きのこを中心として野菜類を煮込むと言う.。N君は19時頃に送れて到着する予定なので、我々のみで始める段取りとなった。
 ところがバーナーが急遽不調で炎が出ない。これはあせった。調理できない鍋なんて!結局は分解修理して事なきを得た。

 先ずはビールで乾杯するが、如何せん寒すぎる。鍋が煮たたったのを契機に、日本酒に変更。これがなかなうまい酒である。鍋もなかなか宜しい。思いのほかさっぱりしていて結構食が進みます。
 19:30になってもN君が到着しないので、Aさんが携帯電話で連絡しょうにも圏外で通じない。止む無く管理事務所の建物の有線電話から掛けてみる。紆余曲折を経て判明したところは、どうもチェーンでは林道が登れずで、とぼとぼと帰宅についた由。残念だが仕方ない。結局鍋材料が多すぎ、うどんも食べずに寝入る運びになった。好材料は天候の回復傾向だ。空には星も瞬いており、明日の好天を約束しているかのようだ。安心してシュラフに入り込んだ。

大峰、大普賢岳-その2
12月28日():大普賢岳アタック

5:30起床7:20和佐又山スキー場(登山口)出発-8:00和佐又山とのコル-9:00笙の窟へのトラバース道-9:20笙の窟-9:50日本岳と小普賢岳のコル(尾根)-11:30小普賢岳山頂-14:10和佐又スキー場14:40ー16:30 A氏宅-
18:30帰宅

 
残念ながらN君は不参加となり、2人で山頂アタックに出発した。予想せぬトレースが和佐又コルから付いていた。それも本日のもののようだ。今朝に先行者がいるのか?半信半疑で進んだが、明るみになった事実とは?
 大雪で目的半ばで時間切れ撤退したが、今年最後の素敵な雪山山行だった。今回の教訓を年明けの焼岳山行に生かさねば!

 
  少し寝過ごして5:30に起床。予想通り天気のようだが、まだ少し雪がぱらついている。朝食の支度をしていると、東の空が漸次明るくなり、日の出だ。辺りが黄金色に輝く。何時見ても晴天の日の夜明けは素晴らしい。
 テントはたたんで車に仕舞い、装備を着けて出発だ。些か大袈裟だが、念のためゼルプストやヘルメットも着ける。
 
 最初は踝までの新雪を踏んでスキー場の脇を登る。このスキー場もロープトウなどの機動力があればもう少し人も来るのにと思うが、規模も小さく遠隔地にあるのでそうしても集客増加は無理だろう。
 和佐又山麓に伸びるスキー場の斜面を左に分け、林の中のトラバース道を和佐又山西のコルまで登る。雪面が筋状に少し陥没しているのがトレースの名残を示している。夏道どおりのトレースだ。積雪量はふくろはぎ近くに増加した。それにしても自然林と木々の枝についた「エビのしっぽ」が美しい。天気は良いが朝方なのでまだまだ冷気も強い。張り詰めた緊張感のなかをひたすら登ると、和佐又山のコルに到着した。

和佐又スキー場オートキャンプ場にて
ー出発の用意は出来た。

の窟にてーAさんのピースサイン
 ここにはベンチもあり、暫し休息する。お互いに朝のお勤めも済ませる。不思議なのは、ここに来て明瞭なトレースが出現した現実だ。コルまで我々以外のトレースは無いのに、何故此処から?の疑問が湧き出す。しかもこのトレースはワカンの足跡で、しかも新しい。昨日に付けたものなら風雪でかき消されているので、本日のものに違いない!?誰が?興味を抱きつつ、有難く利用させて頂く。
 尾根筋に着けられた広い切り開きを進み小さな丘を2つほど越すと傾斜が急になり、笙の窟に向かうトラバース道となる。夏道どおりにトレースが進む。この道は急な斜面にある岩棚を辿るので、注意が必要である。所々鎖場もある。慎重に進む。やがて凄まじいオーバーハングを持つ巨大な岩壁の岩小屋である「シタン」、「笙」そして「鷲」の各窟に出会う。夏場は滴る水が貯まった岩穴も、冬は巨大なツララと氷筍に覆われている。
 此処で漸く、先行者に追いつく。大きなザックを背負った単独行の若者であった。
 休憩中の先行者にラッセルの礼を述べ我々が先行した。鷲の窟の先で一旦高度を下げ、尾根を回り込むと急なルンゼに合流する。この先は巻き道が無いようだし、このルンゼを斜上して尾根に達した以前の夏の記憶がある。
 ためしに少し登ってみると鎖があったのでルートの確かさを確信した。ルンゼは急で腹から腰までのラッセルだ。
 漸く尾根筋に辿り着くと、見覚えのある標識があった。これで間違っていなかったと思うと、ほっとして休憩、サンドイッチを食べる。ワカン氏も追いついてきたので、此処で又先頭を交代した。
 此処からアイゼンを着けて出発する。 尾根筋は痩せ尾根で所々に鉄の階段が着けられていたが、余程の急傾斜で無い限りは殆どが雪の下であった。慎重に進むと、石の鼻の先で先行者に追いつく。此処からは3人で交代でラッセルして進んだ。
 夏道では小普賢岳のピークは通らずその山腹を巻くのだが、積雪期でもこんなに積雪量が多いと所々で雪崩れそうな急な雪壁となっている。その先に少し平らな斜面が見えるので進むのだが、気持ち悪いこと夥しい。

小普賢岳のトラバース道よりの、急登のラッセル

小普賢岳山頂にて
何やかんや言いながら、頭の中は空っぽになってひたすら雪と格闘する。所々オーバーハングした岩の斜面では、その下に雪が積もらず空間になっている。こういう所はいくら踏んでも雪面が固まらない。蟻地獄を経験させられる場所であった。
 トラバースから程なく、再度急な斜面の登りとなり、胸までのラッセルだ。ほうほうの呈で小普賢の西、大普賢岳とのコルの上部の尾根まで達した。
 単独行の彼氏は弥山までの縦走予定と聞いていたので、躊躇無く進んでいった。我々は12時までの行動予定だったので、到底大普賢までは届かない。今回は小普賢のピークを踏んで帰るのに計画変更する。
 頂上でお互いに記念撮影。このピークは木々が邪魔して見晴らしは悪い。ここまで来たが、お互いに満足し健闘を称えあった。ラッセルはしんどいが、雪との格闘をこなさないと先には進めない。本当に集中出来る運動だ。
 下りは稜線通しに下る。安全のためロープでアンザイレンする。何せ、Aさんは2〜3回ほど下降路で滑落した経験(!)があるので、注意が必要だ。急な階段の下りでは確保しながら下った。
 核心部を過ぎ、笙の窟でアイゼン、ロープを外す。途中、日本岩からの眺望は素晴らしいの一言に尽きた。晴れ渡った空の下、大峰、台高の山並みが一望の元であった。
 

日本岩より大普賢岳

明神平、薊岳方面の眺望
こんな天気はそうざらにあるものではない。満足感に浸りながら帰路を急ぐ。途中4人ほどの登山者に会っただけの静かな山行であった。
 はるか前に登った山々を見ていると、その時の記憶が蘇ってくる。どれも皆楽しい思い出なのは、苦しい記憶は忘却の彼方に行ってしまう(飛ばしてしまう)からに他ならないのか?
 和佐又山スキー場も、我々の幕営したオートキャンプ場もかなりの車が停まっており、家族連れが子供を遊ばせている。橇遊びが主で、スキーヤーやボーダーはいない。むべなるかである。
 帰りを心配した林道は十分に除雪されており、車は不安なく下れた。
 
 予想以上の積雪であったが、十分に楽しい山行が出来た。今年の大峰山、山上ヶ岳もAさんと行ったが、前日の雨が山上では雪であったらしく、快適な新雪だった。次回はN君も交えてスキーに行こうと約束した。

和佐又スキー場-人影は疎ら
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